「大丈夫だろう」ではなく、「ミスがあるかも」という心構えで仕事をするべし……。
前回の記事では、だろう思考・かも思考について触れました。3歳になる私の姪っ子が活躍(?)するお話でした。
だろう思考のミス例 行先表示幕の誤表示
さて、その記事の中で、「だろう思考」が原因で起きるミスの具体例を一つ紹介しました。「行先表示幕の誤表示」です。
列車は終着駅に到着すると行先が変わるので、行先表示幕を新しい行先に変える必要があります。乗務員が、運転台の操作盤で行先を変えます。
ところが……これを間違った行先表示にしてしまうミスがあります。
ミスの後に「あっ間違えた」と気付いて修正すれば問題ないのですが、そのままスルーしてしまうんですね。「ちゃんと行先表示を変えただろう」「間違っていないだろう」という「だろう思考」で確認をしているため、意識の入った確認になっていないわけです。
そしてそのまま列車を発車させてしまい、お客さんから苦情を受ける……。
こうした確認漏れが原因で起きるミスは、どのようなアプローチで撲滅を目指せばよいのでしょうか?
「人の手・人の目」に頼る方法では本質的な改善はできない
鉄道会社に限らないと思いますが、確認漏れによるミスが起きた場合、次のような対策を講じるのが一般的ではないでしょうか?
・確認する人数を増やす
→たとえば、今までは一人で確認していたものを二人体制にする
・チェックシートの導入
→確認の行程を文書化・明文化することにより、見落としを防ぐ
これらの方法は、それなりに有効ではあります。しかし、手間(時間)や人手を喰いますし、場合によっては、このアプローチでは問題を解決できない場合があります。
たとえば、運転士や車掌は、業務中にいろいろな確認行為をします。しかし、確認漏れを防ぐために運転士と車掌をもう一人ずつ列車に乗せる……なんて対策は、現実的に不可能ですよね。
さきほど書いた「行先表示幕の誤表示」にしても、チェックする専任の係員を配置するなんてことは無理です。
また、この手の対策では、「人間は必ずミスをする」という前提を排除することができません。いってみれば、確認の「量」は増えても「質」はあまり変わらない。
(量を増やすのも確かに大切ですが)
結局、「確認する人数を増やす」「チェックシートの導入」では、今までの“延長線上”でしかなく、本質的にはあまり変わらない場合が多いのではないでしょうか。
「機械による自動化」でミスがゼロになった実例
そこで考えられるのが、たとえば次のような方法。
・そもそも人の手・目に頼らない方法を考える
→機械やシステムによる自動化など
人の手・人の目に頼らず、機械による自動化という概念で、この「行先表示幕のミス」を撲滅した鉄道があるので紹介します。仙台市営地下鉄です。
終着駅に到着して折り返す際、乗務員は行先表示幕を変えるのですが、この鉄道でもそれを忘れるミスがときどき発生していました。では、どういう対策を取ったのか?
一言でいえば、「画像処理ソフトによって、行先表示幕の正誤を自動判定させる」です。
できるだけ簡単に説明すると、次のような仕組みです。
まず、始発駅のホーム端にカメラを設置し、車両の前面を撮影します。その映像は管理室のパソコンに送られるのですが、その映像の中の、行先表示幕の部分を「画像処理ソフト」に読み込ませます。
パソコン内の画像処理ソフトには、「正しい形」をあらかじめ記憶させておきます。行先表示幕には駅名が書かれていますが、正しい行先に設定されたときの表示幕の画像を「正しい形」として覚えさせておくのです。
そして、パソコンに送られてきた映像と、パソコン内の画像処理ソフトが覚えている「正しい形」が照合されます。
行先表示を正しく設定していれば、画像処理ソフトが覚えている形と一致するため、「○」と判定します。もし行先誤表示をしていれば、現場映像と画像処理ソフトとの間で喰い違いが生じるため、「✕」と判定。
「×」と判定された場合は、運転士の管理者のパソコンに警報が出力されます。管理者は運転士に「行先表示が間違ってるぞ、修正しろ」と連絡をし、運転士は行先表示を正しいものに直す。
こういう自動システムです。このシステム導入後は、行先表示幕を間違えたまま列車が走った例は、一件もないそうです。
ただし、このシステムを使うためには、前提条件が三つあります。
- どの車両も、行先表示幕の位置が同じ
- どの車両も、両数が同じ
- どの列車も、行先が同じ
JRや大手私鉄だと、同一路線で数種類の車両が走っているのはザラです。そのため、車両によって行先表示幕の位置が違ったりします。また、列車の両数が違えば、駅での停車位置も異なります。
こうなると、画像処理ソフトに行先表示幕を読み込ませるのは難しい。
さらに、列車によって行先がバラバラの場合は、行先表示幕のパターンが複数あるわけです。ですから、「正しい形」が一つではなくなります。その処理をどう行うのか? という問題も出てきます。
仙台市営地下鉄・南北線は、すべての列車が泉中央駅~富沢駅という区間で運転される路線です。そして、どの列車も同一車両・同一両数。ですから、こうしたシステムが導入できるのです。
問題を「解決」ではなく「発見」する能力が必要である
最後に、本事例からの学びを私なりにまとめておきます。
本事例のキモは、「今までの常識(=確認行為は人の目で行う)を打ち破ったことにより、問題の根源を発見するに至った」です。
仙台市営地下鉄では、自動システムの導入によりミスがゼロになりました。ただ、現実にはアイデアを思いついても、それを具現化する段階で、うまくいかない場合が多いでしょう。
しかし、それはそれでいいと思います。実現できる・できないは別として、
「いま、特に疑問に感じずこういう方法で仕事をしているけど、本当にそれでいいのか? もしかすると、より早く・より正確に成果を出す方法があるのでは?」
こうした意識をもって目の前の業務に取り組むことが、大切なのではないでしょうか。
別の言い方をすれば、問題発見能力の向上です。
「問題をどう解決するか?」ではなく、「そもそも現状のどこに問題があるのか?」を考える。
仙台市営地下鉄の例でいえば、「今まで当たり前のように人の目で確認してきたけど、そもそもそれが問題だったのでは?」という発想が出発点になっています。「今までは人の目で確認してきたから、今後も人の目で確認するのが当然」という“自らの常識”を突き崩したことが、問題の発見、ひいては問題の解決につながりました。
こんなことを言うのもなんですが、「画像処理ソフトを使った正誤判定」という方法は、特に奇抜な解決策ではありません。しかし、「人の目で確認という、今までの方法がまずかったのでは?」という問題設定ができなかったら、その解決策には永遠にたどり着けないわけです。
現代社会には、いろいろなノウハウが出回っていますから、いったん問題を発見してしまえば、だいたいは解決策もセットで見つかるはずです。そういう意味では、現代社会において、「問題解決能力」にはあまり価値がないと言えるかもしません。
しかし、「そもそも何が問題なのか?」という「問題発見能力」は、“自らの常識”をいったん突き崩す必要があるので、身に付けるのは難しいと思います。ですから、これができる人は間違いなく貴重です。
私の周りを見ても、デキる上司や同僚は、この問題発見能力が優れているように思います。彼らは「ここが問題だ」と自分で気づいて、自分で仕事を進めていきます。つまり、他人に言われなくても動ける人であり、自分で仕事を作れる人。自然と、周りにデキる印象を与えていくのですね。
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