列車の誤進入、指令員による信号・ポイント操作のミス。物騒な言葉が並んでおり、どれだけ危険な事態だったんだと思うかもしれませんが……実はコレ、安全上はまったく問題ないです。
「安全上問題ない」とは、誤進入によって脱線や衝突といった事故が起きる心配はなかった、という意味です。
列車が「別の場所」に行ってしまっただけ
重大な事故を引き起こしかねない事態のことをインシデントと呼びますが、今回の事件は、それに該当しないでしょう。以下のような例がインシデントですが、今回はこういう類の話ではないですね。
- 停止信号冒進(赤信号を行き過ぎた)
- 車両逸走(車両が無人状態で勝手に動いた)
- 走行中にドア開(2022年7月・江ノ島電鉄であった)
- 閉そく違反(難しいので説明は省略)
さて今回の事件、例えて言うなら次のような感じです。
これ、安全上は何も問題ないですよね。間違って5階のボタンを押し、5階に降りたからといって、エレベーターが破損したり、みなさんがケガをしたりすることはありません。別の階に連れていかれるだけ。
今回の事件も、これと同じです。指令員が誤って[貨物線]という“階”のボタンを押してしまった。運転士も、[おおさか東線]ではなく[貨物線]という“階数表示”がされていることに気付かず、そのまま[貨物線]の“階”で降りてしまった。
これはもちろん、鉄道の安全を脅かすことがなかったという意味であって、作業的には完全にミスですが。乗客にも迷惑かけまくってますし。
指令員のミス 誤った線路の信号機・ポイントを触った
今回の事例、指令員と運転士の二人がミスを犯しています。二人のうち、どちらか一人が誤りに気付けば発生しなかったトラブルですが……。まあトラブルが実際に起きるときは、往々にしてそんなもんです。
指令員のミスから見ていきます。先ほどのエレベーターの話なら、誤って別の階のボタンを押したのが指令員です。
まず前提の話をしておくと、列車の運行に必要な信号機やポイントの制御、あれ、人間がいちいち操作するのではありません。コンピューターが自動でやってくれるのが大半です。
(PRCやPTC、ARCなどと呼ばれるシステム)
指令室の装置に全列車のデータが入っており、そのデータに基づき、コンピューターが自動で信号機やポイントの操作をしてくれます。たとえば、
「●列車はA駅1番線から9:00に発車、B駅の到着は2番線……」
「▲列車はC駅2番線に到着……」
という具合で、全列車の運転時刻や番線のデータが入っています。コンピューターはそれに従い、「●列車はB駅2番線に入るから、B駅の信号機やポイントはこう動け!」と命令を出すのです。
ダイヤが乱れているときは、番線変更などが必要になるので、これらの制御用データを書き換えます。ただし、データの書き換えが間に合わないこともあるので、信号機やポイントに対して直接命令コマンドを入力することもあります。「手動介入」「手引き」などと呼びます。
Excelに例えるなら、計算プログラム内の数字を書き直して新たな解答を得るところ、解答欄のセルを直接クリックし、自分の頭で計算した答えを書き込むようなものでしょうか。
今回の事象は、この手動介入・手引きを行なった際に、おおさか東線ではなく貨物線の方の信号機・ポイントを触ってしまったものと思われます。完全なヒューマンエラーですね。装置には操作記録(ジャーナルという)が残るので、事件発生後にそれを見て、「貨物線の方の信号を引いてる!」と真っ青になったのでは……。
運転士のミス 信号確認が不十分だった
次に、運転士のミスについて。おおさか東線ではなく、貨物線の方に信号が引かれているのを見落とし、そのまま進入してしまった。
エレベーターの話なら、行先階数表示が違っているのに、それに気付かなかった。
これも典型的なヒューマンエラーでしょう。「おおさか東線の方に信号が引かれているだろう」という思い込みとか、そうした思い込みが原因で信号機をきちんと確認しなかったとか、そんなところだと思われます。もしかすると、夜 + 悪天候で信号が視認しづらかったのかもしれませんが。
まあ原因が何にせよ、信号確認が不十分だったと責められることは避けられません。指令員とともに責任を問われ、日勤教育送りにされてしまうかと……。
ヒューマンエラーが起こした事象 再発防止策は難しい
指令員と運転士のヒューマンエラー(おそらく)によって、今回の事件が起きたわけですが、再発防止策はどうすればよいのでしょうか?
残念ですが、明確な再発防止策はない、というのが現実的な答えでしょう。
こんなことを言ったらアレですが、ヒューマンエラーを100%撲滅するのは不可能です。信号扱い時や信号喚呼時の基本動作をしっかり行なったり、作業手順に工夫をしたりすることで、ミスを0に近づけることはできますが、0にはできません。
だから人間(ソフト)がミスを犯したときのために、バックアップたる保安装置(ハード)があるわけです。
ヒューマンエラーの話は、はてなブロガー・珈琲好きの忘れん坊さんの記事が面白いのでどうぞ。
ただし今回の件、冒頭の繰り返しになりますが、安全上は問題ありません。ヒューマンエラーが起きたものの、安全を脅かす事態にはなっておらず、保安装置も作動していないからです。
退行運転──バックするのは信号設備に逆らった運転
もし今回の事象で危険な点をあえて挙げるとしたら、誤って貨物線に進入した後、バックしておおさか東線に入り直したことでしょうか。
元来た方向へバックすることを退行運転と呼びますが、この退行運転は、けっこう危険なのです。
というのも、鉄道の信号設備は、列車が前に進むという前提で作られています。列車がバックする想定では設計されていません。列車がバックするとは、信号設備の摂理(?)に逆らう運転であり、頼りになるのは運転士の注意力のみ。だから危険度が高いわけ。
たまにニュースになりますが、駅でオーバーランした列車をバックさせずに、次の駅まで行かせることがありますよね。「バックすると、付近の踏切が誤作動を起こす恐れがあるから」という理由による措置ですが、踏切も、列車は前に進むという前提で作られているのです。
もっとも、退行運転自体はルール違反ではなく、一定条件を満たすことで認められているので、今回行われたことは規定上問題ないですが。
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