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鉄道関係の「お雇い外国人」 彼らの給料はいくらだった?

お雇い外国人。

この単語、聞いたのは高校の歴史の授業以来だわー、という人も多いのではないでしょうか。

幕末から明治にかけて、日本は先進国の知識・技術を導入することを目指しました。そこで、さまざまな分野で外国人を雇い、作業に従事してもらったり教えを受けたりします。当然、お雇い外国人は鉄道分野でも活躍しました。

お雇い外国人は日本人を遥かに凌ぐ給料を貰っていた

ところで、「お雇い」と呼ぶからにはボランティアではなく、当然ながら給料を支払います。お雇い外国人には、どれくらいの給料が支払われていたのか?

実は以前、JR西日本の京都鉄道博物館に行ったときに、面白いデータを発見しました。1872(明治5)年当時の、鉄道関係お雇い外国人と日本人の月給額比較です。

たとえば、明治時代の官僚に井上勝(いのうえ・まさる)という人物がいます。彼は若くしてイギリスに留学し鉄道を学び、日本の鉄道発展を牽引した人物です。当時の井上は鉄道頭という役職で、実務分野におけるトップ・責任者だったようです。その井上勝の月給が350円。

これが駅長クラスだと月給30~40円ほど。井上の350円は相当な額であることがわかります。

しかし、お雇い外国人たちの給料はそんなものではない。

リチャード・ヴィカーズ・ボイルという土木技術者は、月給1,000円。また、ウィリアム・ウォルター・カーギルという人は、月給2,000円。わざわざ先進国から招聘していますから高給取りなのは当然ですが、それにしても格差がパネェです。

当時の1円は現代の1万円? 年収「億超え」のお雇い外国人も

ところで、月給350円や2,000円という数字を出しましたが、おそらくピンとこないですよね。ウィリアムが貰っていた月給2,000円とは、現代感覚だと、いったいどれほどの金額なのか?

1872(明治5)年当時、1円あれば米28㎏が買えたそうです。これを基準にして考えます。

いや、米という穀物の経済的価値は、当時と現在では異なるので、米をモノサシとして用いるのが適切と言えるかどうか。そもそも、明治と令和の生活スタイルは違いすぎます。そういう前提で「当時の月給2,000円は、現代では何円か?」などと考察するのは、無茶と言えば無茶なのですが……。

それは承知のうえで計算してみます。

令和の現代における、米の値段は? もちろん銘柄によって異なりますが、スーパーで眺めた感じでは10㎏4,000円弱ってとこでしょう。

米1㎏あたり400円弱。
米28㎏を買うためには、400円 × 28㎏ = 11,200円が必要です。計算しやすいよう、ザックリ数字を丸めて1万円ということで。

  • 1872年 → 1円あれば米28㎏が買える
  • 現代 → 1万円あれば米28㎏が買える

この構図から導き出されるのは、「当時の1円は現代の1万円に相当する」。つまり、1872年の月給2,000円とは、現代感覚だと月給2,000万円なわけです。年間だと2億4,000万円。

これは高い。実際、お雇い外国人に支払う給料の負担に、明治政府はヒィヒィ言っていたらしいです。

いつまでも外国人に頼っていると、財政がエラいことになります。日本人技術者の養成が急がれました。このあたりは、開業したての鉄道会社(第三セクター鉄道とか)が、近隣の鉄道会社から出向等で人を賄いつつ、自社採用の社員を育てていくのと似ていますね。

明治も10年を過ぎる頃には、養成所で育った日本人技術者も増え、鉄道関係のお雇い外国人もだいぶ減りました。ちなみにこの時期、西南戦争(1877年)が起きたこともあり、明治政府の出費がヤバかったのも、お雇い外国人の数が減った背景の一つかもしれません。

当のお雇い外国人目線で高給だったかどうかは不明

というわけで、お雇い外国人は高給との話でした。

もっとも、「給料が高い」とは支払う日本側の感覚であって、当のお雇い外国人たちからすれば、そこまで高給ではなかった可能性もあります。

というのは、お雇い外国人はそのうち帰国しますが、最終的には日本で稼いだ円を、自国通貨に替えますよね。結局のところ、高給 or 薄給は自国通貨の額で判断するからです。

たとえば、みなさんが異世界から魔物退治を依頼され、100億ゴールド!の報酬を提示されたとします。しかしこの100億ゴールド、日本円に替えたら1万円にしかならないとしたら……100億ゴールドを高給とは思わないでしょう。

お雇い外国人の給料もそれと同じです。高給 or 薄給は、為替レートや物価による相対的判断なので、日本円の額だけ示されても何とも言えないところはあります。

まあ常識的に考えて、明治政府がお雇い外国人に支払った給料は、帰国後に自国の通貨に替えても、じゅうぶんな額だったはずです。それくらいの魅力がないと、極東の島国に優秀な外国人技術者は来てくれないでしょうから。

【余談】外国人技術者への好待遇

あとは完全に余談。

お雇い外国人といえば、私の父親も似たようなことをしていました。父は、とある分野の技術者でしたが、技術指導のために一時期中国に渡っていたことがあります。

といっても、依頼主は(もちろん)中国政府ではなく某中国企業でしたが。言ってみれば「私的な」お雇い外国人ですね。現代において、日本人が外国に行って技術指導する話は別に珍しくないので、お雇い外国人なんて表現は大げさですが……(笑)

父によると、けっこう報酬も良かったらしく、さらに宿泊施設や食事も依頼主側が用意してくれたため、「食」と「住」ではカネを使う必要がなかったと言っていました。それなりの待遇を用意しないと外国人技術者を招聘できない点は、昔も現代も変わらないようです。当たり前ですけどね。

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