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【昔話】発足当初のJR 現場の労働環境は過酷だった

JR東日本・西日本で2021年から施行の終電繰り上げ。

夜間工事の時間を拡充することで、工事スケジュールに余裕を持たせたい。それによって、工事に従事する作業員の労働環境を改善し、離職防止や採用の促進につなげる。

これが一つの狙いです。
いわゆる働き方改革の一環といえます。

なお、工事は鉄道会社本体の社員だけでなく、関連会社・下請け会社の協力で行うのが一般的。いってみれば、他会社の労働環境を改善するために、JRは自社の列車本数を削るとの見方もできます。

それにしても、20~30年前のJRに比べると、ものすごい変化です。「国鉄出身→JR」という経歴の人から聞いた話だと、発足当初のJRは、今とは比べ物にならないくらい労働環境が過酷だったそうです。

今回の記事は、そんな昔話。

慢性的な人不足 労働環境が過酷だった初期のJR

国鉄末期に新規採用が凍結されていたとか、国鉄からJRへの転換時に余剰人員が整理されたとか、そういう話はよく知られています。ようするに、JRの発足当初は、国鉄時代に比べて少ない人員で業務に対応せざるをえなかった、と。

労働環境の代表的な要素といえば、「労働時間」「休暇日数」。シフト制の鉄道現場において、この二つの要素を左右するのは、ズバリ社員の数です。

つまり、社員の数が多ければ長時間労働は発生しにくいし、休みも取りやすい。逆に社員が足りないと、長時間労働や休日出勤に陥りやすい。

そのため、国鉄時代より少ない人数で仕事を回していた初期のJRには、現代の目で見れば「うわぁ……」と感じるブラックなエピソードがたくさんあります。

以下は、列車の運行管理を行う「指令」という職種で働いていた方から聞いた昔話です。「あの頃はホントに補充の人員がいなかった」というボヤキから始まりました。(昔話なので、令和の現代ではこんなことありません!)

申請しても年次有給休暇が取れない 流すのが所定

ブラックエピソードその1は、年次有給休暇(以下、有休と表記)。

有休とは本来、「会社から与えられるもの」ではなく「労働者の権利」です。つまり、労働者が「有休を取得したい」と申請すれば、受理されるのが通常の処理。

ところが有休を申請しても、できあがった勤務表(シフト表)を見ると、有休が入っていない……。

担当者に聞いても、「いやぁシフト組むのがギリギリで、有休入れるの無理だったわ。めんご☆」でおしまい。有休が取れるのは冠婚葬祭だけで、「有休は流すのが当然だった」そうです。

泊まり明けでそのまま夜まで仕事!

しかし、有休が取れないくらいはカワイイもの。程度で言えば、ブラックではなくグレーくらい。長時間労働の問題は、その比ではなかったそうです。

駅・乗務員・指令などの現場業務は、泊まり勤務が基本です。たとえば、朝9時に出勤して翌朝9時まで24時間勤務、という具合。

翌日は9時になれば、次の勤務者に交代しておしまい。家に帰って寝るなり遊ぶなり自由です。この翌日のことを「泊まり明け」と呼びます。

さて、9時になって次の勤務者に引き継ぎました。お先に失礼──

しません

なぜ帰れないのか? いろいろと抱えている業務があるので、それを処理するために残業するのです。

たとえば指令だと、本来の勤務時間中には列車の運行状況を監視したり、遅れ列車に対処したりと、「本来の仕事」があります。つまり、何かの案件や事務仕事・打ち合わせを抱えている場合、それらは本来の勤務時間中に処理できない。そういう仕事は残業で対応するわけです。

さて、泊まり明けの9時から残業して昼の12時になりました。そろそろ家に帰れ──

ません

結局、帰れるのは日が沈んでから、ということが珍しくなかったそうです。つまり、9時に出勤して18時に帰る「日勤」と変わりません。この、泊まり明けで夜まで残業していくことを、「明け日勤」と呼んだりします。

泊まり勤務の仮眠時間は、4~5時間前後が一般的。泊まり明けの睡眠不足で夜まで残業するのは、相当シンドイです。

月の残業100時間! 過労死ラインを余裕で突破

明け日勤なんぞ恒常的にやっていたら、残業時間がヤバいことになるのは容易に想像できます。明け日勤一回あたりでの残業時間は8時間程度。泊まり勤務は1ヶ月で10回以上ありますから、低く見積もっても80時間。

現代の基準では、月の残業80時間が過労死ラインと言われますが、そんなラインは余裕で突破。それどころか、残業100時間もよくあったそうです。

管理者が残業時間の記録を改竄

とどめは「残業時間のごまかし」。100時間残業したのに、帳簿上は40時間などと過少に記録するわけで、ようはサービス残業ですね。
(当時はそんな言葉はないですが)

会社側と従業員側が結ぶ36協定によって、1ヶ月の残業可能時間には上限が定められています。月の残業100時間は、どう考えても上限オーバーの違法状態。しかし、これを馬鹿正直に記録すると、労働組合が「なんだこれは!」と騒ぎます。

というわけで、管理者(上司)が勝手に数字を書き換えることが日常的だったそうです。残業した本人が過少申告するのではなく、管理者が勝手に書き換える、というのがミソ。

コンプライアンスに内部監査 昔のような無茶は通らない

……という感じで、発足当初のJRには、ブラックな面が多々ありました。

もっとも、ブラックうんぬんというのは現代の目から見たときの話で、1980~90年代は、これくらいどこの業界でもよくあったのでしょう。
(2023年現在でもよくある話だよ? なんてことはないと思いたい)

昭和や平成初期に比べると、労働者を守るための法律や制度は強化され、コンプライアンスも厳しく問われる時代になりました。また、鉄道会社内でも内部監査がしっかり行われるようになったため、さすがに昔のような無茶は通りません。

昔話を教えてくれたお方は、「よく過労死しなかったなあ。若いから体力あったんだねぇ……」と、若かりし時代を振り返っておられました。そして、「昔みたいなことはなくなったから、本当にいい時代になった」と話を〆てくださいました。

安全・安定輸送発展の裏側には過酷な労働があった

さて、こういう話を読んで、みなさんはどう思うでしょうか?

  • 有休が取れない
  • 泊まり明けで夜まで仕事
  • 過労死ライン超の残業
  • 残業時間の記録を改竄

良いか悪いかと聞かれれば、悪いに決まっています。

ただ、「悪い!」と一概にバッサリ切り捨てられないのが難しいところ。こうした「モーレツ社員」が制度やシステムを必死に整えてくれたおかげで、鉄道の安全・安定輸送が発展してきた、という面は否定できないからです。別の言い方をすると、現代の我々は恩恵を受けている。

となれば、我々の世代にできることは、身を削って働いてきた世代が築いた遺産や基盤を無駄にしないよう、鉄道の安全・安定輸送をより発展させていくこと。そう考えて私は仕事しています。もちろん、労働基準法などを遵守したうえで、ですね。

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