先日、東海道新幹線で、運転士がトイレに行くために運転席から離席する事件がありました。ようするに、運転免許を所持する人間が運転席にいないまま列車が走っていたわけですが、残念ながら、JR九州でも似たような事件が起きていたことが発覚しました。
まあぶっちゃけた話、「トイレで無断離席」というケースは、全国の鉄道会社で今までにも少なからずあったのでしょう。発覚しなかっただけで。
鉄道誕生以来、これまですさまじい本数の列車が走ってきました。そして、乗務員のトイレ問題は、常について回ってきた。そこから考えると、今回のケースが初めてだとは思えません。
嫌な話ですが、もしかしたら、ウチの会社でも過去にあったのかも……。まあ、少なくとも私の知っている範囲ではないですけど……。
指導運転士と一緒でなければ見習運転士は運転できない
今回のJR九州のケースですが、見習運転士と指導運転士が出てきます。
見習運転士は、指導運転士(=免許を持っている人)と一緒でなければ、列車を操縦することはできません。自動車免許でいえば「仮免」の状態。教官がいなければ、公道を運転することはできませんよね。それと同じ。
したがって、今回のように指導運転士が運転室から離れた場合、見習運転士が列車を動かすのは無免許運転です。
安全を脅かすような真似はプロとしてNG
一連の事件によって、会社側の体制がどうとか、わざわざ複雑な方向に議論を持っていきたがる人が多いですが、本質の部分は難しいものではありません。
「プロとして、鉄道の安全を脅かすような真似をしてはいけない」。これが本質です。
そもそも、生理現象を我慢しろとか、トイレに行くのを許さないとか、鉄道会社は乗務員にそんなこと言っていません。
運転中に勝手に離席するのは安全上マズいからやめてくれ。
トイレに行ってもいいけど、列車を停めてからにしてくれ。
それだけの話です。
もちろん、列車が遅延してしまうとか、お客さんからのクレームとか、そういう問題は実際あるでしょう。しかし、「安全を守る」という本質部分に比べれば、枝葉にすぎません。そこは会社側が、「列車が遅れたのは悪かったけど、安全のためには仕方ない措置でした」と身体を張って社員を守る必要があります。
運転士2人体制にしても本質は変わらない
それからネット上では、「急病や生理現象に備えて、運転士を2人体制にすべきでは?」という声も少なくありません。
しかし、2人体制にすれば、この手の問題が必ず解消されるわけではありません。というのも、2人が同時に急病や便意に襲われることだって、可能性としてはありえるからです。
結局、2人乗務体制が実現したとしても、「いざというときには列車を停めて対処」というマニュアル・運用は必要です。それなら、現行の1人乗務と本質的には変わらないという話になります。
鉄道マンには「列車を停める勇気」が必要
さて、最後に一つ、自戒の意味も込めて教訓的な話を書いてみます。
鉄道の安全に関する“基本のキ”は、「何かトラブルがあったら躊躇なく列車を停める」です。したがって、
いざというときに「列車を停める勇気」がない人は、乗務員……というか鉄道マンに向いていない
「勇気」という言葉は、前進するときに必要なイメージが強いですね。しかし、本当に勇気が必要なのは、むしろ「退く場面」ではないでしょうか?
企業経営でいえば、不採算事業からの撤退。
投資でいえば、損切り。
撤退や損切りは、いままで費やしたカネをドブに捨てることを意味し、自分のやり方が間違いだったと認めることになりますから、決断が難しい。「もう少し我慢していれば好転するのでは」と、ズルズル続けてしまう。日本では、退くことをよしとしない風潮が強いですから、なおさらです。
しかし、それで傷をさらに大きくしてしまうケースは少なくないはず。そして、「あのときやめておけば……」と後悔する。
こうした泥沼に陥らないためには、「前に進む勇気」ではなく「後ろに退く勇気」が必要でしょう。「列車を停める勇気」も、それと同種のモノだと思います。
列車を遅らせたら、クレームを受けるのではないか?
あとで叱られるのではないか?
そうした恐れを振り切って、「安全が最優先だから仕方ない! えいやっ!」と列車を停める。鉄道の安全を守るため、乗務員に限らず、鉄道マン全員に必要な資質だと私は思っています。