2022~23年にかけて、残念なことに、鉄道業界では事故やトラブルが相次いでいます。たった1年でこれだけの事象が発生しているのは、ちょっと記憶にない気が……。
まず、業界用語で異線進入と呼ばれる事象。
予定していた線路ではなく、別の(=誤った)線路に信号が引かれているのに、運転士がそれを見落として、誤った線路に進入してしまう。予定と違う線路に進入して初めて「あれ? 違くね?」と気付くも、時すでに遅し。
- JR西日本 おおさか東線での貨物線誤進入
- 京成電鉄 京成高砂駅での入換ミス
- JR東日本 大船駅での貨物線誤進入
- 東京メトロ 副都心線の列車が有楽町線に誤進入
また、車両基地内での脱線事故も、ここ1年で多発。南海電鉄・京成電鉄・近畿日本鉄道・都営地下鉄・しなの鉄道で起きています。
これらの事故やトラブルの原因はさまざまです。線路設備側に起因する(と思われる)事故もあって、運転に携わる係員のミスではないケースも。
ただ、この中には、運転士が信号をキチンと確認できていれば防げた事象──運転士のミスが原因のものが複数あります。実は赤信号だったのに、青信号と勘違いして発車してしまい事故が起きた。もっと言うと、「そもそも運転士は信号を確認しなかった」というケースすら存在します。
指差喚呼という基本動作にはどのような効果がある?
こうしたトラブルの多発を見て改めて思うのが、「基本動作の大切さ」です。
鉄道現場での基本動作。代表的なものが指差喚呼(しさかんこ)です。たとえば、運転士が信号機を指差して声出し確認してますよね。アレが指差喚呼で、みなさんも見たことあるはずです。
あの指差喚呼なる行為は、信号の見間違いや見落としといったミスを防ぐための動作です。声を出したり、指差したりするのが、一体どう見間違いや見落としの防止につながるのか?
まずは声出しの効果を説明しましょう。
みなさんは今この記事を漫然と眺めているだけかもしれませんが(笑) もし「声を出して読みなさい」と言われたら、ちゃんと読むはずです。
というのは、声を出して記事を読もうと思ったら、書かれているすべての文字を認識する必要があります。文字を認識せずして音読という行為は不可能です。必然、意識を込めて読まなければいけません。
つまり、声出しには「対象物の状態をキチンと認識させる効果」があります。
声出しだけでなく、指差しにも効果があります。突然ですが、みなさん、部屋にある時計を指差してください。
と言われたら、時計を探してしっかり視界に入れるはずです。どこに時計があるのか位置特定できないまま、時計を指差す行為は不可能です。指差すには、時計を探して「あそこに時計がある」と意識する必要があります。
つまり、指差しには「対象物をキチンと視界に捉えさせる効果」があるといえます。
基本動作を身に付けることの意味とは?
ただ、この指差喚呼をはじめとした基本動作ですが、サボったからといって、すぐ事故になる類のものではないです。言い換えると、「基本動作をキチンと行う効果」が見えにくい。そのため、「そんな真面目にやらんでも」と考え、サボる鉄道マンが残念ながら存在します。
まあ確かに、列車を運転していても、普段は青信号ばかりでスイスイ進めることがほとんど。目の前の信号一つくらい、確認動作をサボっても別にどうってことないでしょ、という気持ちはわからなくもないです。
では、基本動作を普段から真面目に継続する意義とは何なのか?
私は指導に当たる際、「平和なときは効果が感じられないけど、異常時などのイレギュラーに巻き込まれたときに差が出るよ」と言っています。
普段から身体に染み込ませておくことで、イレギュラーに巻き込まれたときに、ミスを防ぐための武器になるのが基本動作、というのが私の考えです。
たとえば、冒頭で挙げた異線進入や脱線事故の中には、「運転士がそもそも信号を確認しなかったケースもある」と書きましたが、事故のときだけたまたま基本動作(指差喚呼)をやらなかったとは考えにくい。普段からサボっていたのではないでしょうか。少なくとも、そう疑われても仕方ないです。
いつもはサボっていても大丈夫だったのでしょう。事故に繋がるイレギュラーとは、そうそう起きるものではないので。
ところが、事故を起こしたときは「いつもと違って信号がまだ赤だった」「いつもと違う信号が出ていた」とのイレギュラーが、たまたま入り込んでいた。そこを信号確認ナシ、いつものノリで運転したため、事故になった。
あくまで私の想像ですが、事故の実態はそんな感じではないでしょうか。もし運転士に信号を指差喚呼する習慣があったら、起きなかった事故かもしれません。
基本動作をサボる人は、イレギュラーが起きたときに脆い。対照的に、基本動作が身に付いていると、イレギュラーに遭遇したときに「あれ?」と気付きの機会を得やすく、ミスに引きずり込まれにくい。
普段は御利益が感じられないけど、異常事態に遭遇したときの「お守り」になるのが基本動作。だから習慣化して身体に染み込ませておくべき。サボっていると、いざというときに痛い目を見る。
私はこのように考えて、基本動作に意味付けをしています。
【補足】ヒューマンエラーはゼロにはならない
もっとも、基本動作を行なっていても、ミスるときはミスります。見間違い・見落とし・勘違い・うっかりといったヒューマンエラーの類ですね。人間である以上、これらはゼロにはなりません。それが人間の特性ですから。
(※もちろん、ヒューマンエラーを減らす努力は必要です。どうせミスは起きるのだから対策しなくてよいとの開き直りではないですよ)
それに対し、「そもそも信号を確認しなかった」のは、ヒューマンエラー以前の問題。やるべきこと(基本動作)をやったうえで間違えたなら仕方ないと考えることもできますが、やるべきことをサボっていたのでは、擁護のしようもないです。
基本動作の必要性を説く指導は難しいので苦労する
で、問題は、私がいま書いたような内容──基本動作の目的や意義を、部下や後輩にどう伝えていくか?
ぺーぺーの頃は自分一人が「意識高い系」なら合格ですが、指導する側になると、周りを「意識高い系」に変えていくのが仕事になります。
イレギュラーが何もない平和時は、「基本動作をしっかりやっている人」と「サボっている人」の差は見えにくいもの。そのため、「なぜ基本動作を行うべきか?」を指導するのは難しいです。現場で指導している人間の最大の悩みがコレ、と言ってもいいくらいです。
特に最近の若い世代は、理由の説明をキチンと受け、納得しないと動かない、などと言われます。「サボるのは道徳的にイケナイことだから」という曖昧な理由では納得せず、ましてや「決まりだからやりなさい」などと一方的に押し付ける指導は、下の下でしょう。
結局は、「サボると損するんだなぁ。しっかりやった方がいいな」と思わせられるかが勝負です。サボったことによって痛い目を見た実例などを集めてきて、具体的にイメージできるよう私も工夫しているつもりですが……事故事例などは他人事なので、自分事として考えてもらうのは大変ですね。日々苦労しております。
(ヽ´ω`)